愛されている野犬には、たくさんの名前がある

幼い頃、私の親友は愛犬のビリーだった。しかし犬の人生は短く、ビリーはいつのまにか、私の年齢をおいこし老犬になっていった。ビリーの最期のときまでそばにいて、虹の橋へと旅立とうとしたならば、一緒に過ごせたことに感謝して送り出したかった。でも、できなかった。あんなにも大切に思っていたのに、最後に寂しい思いをさせたかもしれないと想像すると胸が苦しくなる。

10年ほど前から福岡の小さな森に住みついていた、とある野犬の話を読んだ。3匹で暮らしていた犬たちは、いつしか1匹になった。おそらく他の2匹は死んでしまったのだろう。不憫に思った女性が、最後の1匹を自宅に迎え、森のそばに「犬を保護しました」と看板を建てたそうだ。

“翌日看板の上に手紙が1枚はられていた。次の日も、その次の日もまた。「ハナちゃんだいじょうぶかなぁと心配していました」、「ホワイティが飼ってもらえたと聞いて大泣きしました」、「よかったねテル」、多くの人ら思い思いに名前を与えられ愛されていたのだと知った。”
(朝日新聞6月23日社会面、「名前愛された分だけ」より引用)

高齢の野犬に思いをよせる人が沢山いたことに、心が震えた。昨今のペットブームで、ぬいぐるみのような犬がもてはやされている中、見ための可愛らしさだけではなく、犬そのものを愛する人が確かにいることに触れて、涙があふれた。

私には、最後まで愛情をかけ続けることが出来なかった犬がいる。それは、5歳のときに、両親にねだり、やっと迎えた雑種の犬ビリーだ。私にとって、夢にまでみた犬との暮らしのスタートだった。幼稚園そして小学生と私は、学校が終わると急いで家に帰り、愛犬ビリーと庭で遊んだ。父と一緒にビリーを連れて、遠くの川まで歩いたり、山に登ったりした。しかし中学生になった私は、クラブ活動に夢中になり帰宅も遅くなった。そして、私は中学3年生の秋、通っていた学校を辞める決心をした。クラブ活動に打ち込むため、遠くの学校に転校し、その学校の寮に入ることを決意したのだ。ビリーがいなくなったのは、ちょうどその頃だった。当時、田舎では、飼い犬が庭をこっそり抜け出し、外を歩いている姿はめずらしくなかった。ビリーも夜中に、そっと抜け出す、常習犯であった。しかしある朝ビリーは帰ってこなかった。次の日も、その次の日も帰ってこなかった。私の心が離れたからだと思った。ビリーと最後に庭で遊んだのはいつだったのだろう。ビリーと最後に呼びかけたのがいつなのかもわからなかった。人間には愛犬以外に、愛するもの、楽しみもある。ただひたすら飼い主を愛する犬にとって、人間の振る舞いは身勝手だ。しかし、犬たちはいつも自らの現状を潔く受けいれる。

私は、野犬や保護犬の記事をみると気になって仕方がない。ずいぶん前にいなくなったビリーを探しているわけではないのだが、休日、犬の保護施設にボランティアにいくこともある。私は、野犬や保護犬を通してビリーの姿をみているのだ。今、私は当時ビリーにできなかったことを、せめて他の犬にすることで、ビリーから許しを乞おうとしているのかもしれない。ビリーが今だに気にしている思わないが、私はそうせずにはいられないのだ。この記事にある、名前もなかった1匹の野犬が、実は多くの人たちから、それぞれに名前をつけられ、愛され見守られていたことに感動した。犬たちをかいしてビリーをみている私は、幸せそうに暮らす野犬や保護犬の話を聞くと、その飼い主に、感謝の気持ちでいっぱいになる。そして、愛せる人をみつけたこの野犬が、最期の最期まで安心な気持ちで過ごすであろうことを想像すると、嬉しくて心が震えるのだ。

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