「私の頭の中だ」とびっくりした本『ハラスのいた日々』

「こんなはずではなかった」作者の気持ちを一言で表すならば、私はこの言葉を選ぶ。そしてこれは、犬を飼う全ての人間が、感じている気持ちだろう。言葉が持つイメージとは違い、悪い意味ではない。「ここまで大切な存在になるとは思わなかった」といういい意味での裏切りを表す。かくいう私も、現在は3頭目となる犬と過ごしているわけだが、それぞれの犬に対して「こんなはずではなかった」という感情があふれでる。
そしてその気持ちは、こちらのライフスタイルや年齢によって少しずつ変化があるのも面白いところだ。例えば幼い頃に、一緒に過ごした愛犬ビリーは、私にとって頼れる兄のような存在であり、一番の遊び相手でもあった。しかし今やすっかり大人になった私と過ごす愛犬ギズモは、目に入れても痛くない大切な娘のような存在であり、なんでも話せる親友でもある。そして今、私を追い越し生き急ぐ彼女が、また違う顔を私に見せてくれそうになる。私はそんな彼女の気配に、心が波立つ。

この本は、作者「中野孝次」が、「ハラス」という犬との、13年間の暮らしを描いたものだ。死んでしまった「ハラス」への気持ちに決着をつけるため書かれたというこの作品は、「ハラス」への思いと、共に生きた日々がただただ記されたものである。他人からみればどこにでもいるただの犬が、飼い主にとってはその犬以外は考えられない絶対的な存在になるのだということが、ひたすら描かれている。おそらく犬を飼う人間は全てに共感し、読んでいる間中「そうそう」とうなずきっぱなしになるだろう。犬の冒険物語や知識を得るための本ではないのだが、愛犬家にとって名著とされているゆえんはここにある。

私の心に特にささったところは、飼い主を待つ「ハラス」の様子だ。

門の上から首をだし、耳を鋭くつきだしてまちにまったという格好で座っているハラスをみると、そんなに必死でまっていたのかと嬉しくなると同時に健気なという気がして何かがぐっとこみあげてくる

私が幼い頃に一緒に過ごしたビリーは、まさにこのような姿で私を待っていてくれた。私は小学校で終わりのチャイムがなると一目散に家に急いだ。その理由は、きっとこのせいなのだ。自分でも気づかなかった当時の気持ちをぴったりと明文化され、その頃のことを思い出した私は、嬉しいようなせつないような気持ちになった。そうして作者のいう通り今さらながら何かがぐっとこみあげてくる。そうだ。私は、必死で待ってくれているビリーの姿をみて、毎日感動していたのだ。

人間だったらいかにそう思っていても、まつという気持ちをこのようにじかに行為であらわすことはしない。犬のその行為はまっすぐ私たちの胸の中にとびこんできて熱いものをともす

犬は人間のように恥ずかしがったり、かっこつけたりせずに、気持ちをまっすぐに表す。だから私たちの胸にまっすぐに届くのだ。犬が与えてくれる無垢な愛の表現によって、私たちも犬に対し素直な気持ちで惜しみなく愛情をそそぐ。
この本は、犬を飼っている人間だれもが思う、犬に対するまっすぐな気持ち、私たち飼い主の心を代弁してくれている一冊だ。

著者 中野孝次 「ハラスのいた日々」(文藝春秋)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)