愛犬に虹の橋で待っていてもらうには

「いつかお別れの日がきても、虹の橋のたもとでまた会おうね。きっとだよ。」愛犬に対して来世での約束を語りかける飼い主は多いだろう。私も例外なくそう思い、共に暮らした犬たち皆が、虹の橋のたもとで待ってくれていると信じている。だから現在一緒に過ごしている愛犬ギズモに、そこには私が昔一緒に過ごした「ビリー」と「レオ」という家族がいることを説明している。しかしながら「犬」の立場で考えると、果たして、再び私と一緒に暮らしたいと思っているだろうか。

「私は長い留守番はいやよ」

うちのママはね、毎朝出かけるの。そして暗くなってママが帰ってくるまで、私は一人ぼっち。留守の間、ピンポーンって奇妙な音がなったり、外から大きな音が聞こえてきたり不安でたまらない。「こわいよー」って叫んじゃうわ。でもね「こわいよ」って泣いたらダメなんだって。こわいときに、こわいって言ったら怒られちゃうのよ。だから私はお留守番しなくてもいい飼い主さんがいいな。

「僕は自由なお散歩がしたい」

うちのパパは毎日とっても忙しそう。だからお散歩も急ぎ足で歩くんだ。本当は僕、公園の空気の匂いや花の香りをゆっくり嗅ぎたいんだけど、いつも我慢している。ゆっくり歩くのはダメなんだって。前に「もうちょっとじっくり匂いを嗅がせて」ってお願いしたことがあるんだけど、怒られちゃったよ。だから僕はゆったりお散歩にいける飼い主さんと過ごしたいな。

「広いお庭があるお家に住みたいわ」

うちのママの口癖は「静かにしてね」だよ。私はママがお外から帰ってきたり、遊んでくれたりすると、嬉しくって「やったー楽しいね」ってはしゃいじゃうの。でもね「楽しいね」って伝えるのはダメなんだって。前にママがいっぱい遊んでくれたから「ありがとう」って言ったんだけど、怒られちゃったわ。だから私はお隣を気にせずに思いっきりはしゃげるお家に住みたいわ。

多くの飼い主が、愛犬に対して沢山のことを望む。「トイレの失敗はやめてね」「ワンワン吠えないで」「ソファーを舐めるのはダメ」「ひっぱらないで」まだまだあるだろう。これら人間の望みは、人間の勝手な都合であって、犬に押し付けるものではない。自ら犬と暮らすことを望んでおいて、犬を自分の思いどおりにしようだなんて厚かましくはないだろうか。人間が犬に対して怒る犬の行動は、犬にとっては当然の行為ばかりだ。例えば「赤ん坊が泣く」のと同じくらい当たり前のことなのだ。そして「躾」といって犬を思いどおりにしようとすることは「泣かない赤ん坊に育てよう」とやっきになっているのと同じふるまいだ。悲しいかな犬は、とても人間に協力的なので、出来る限り自身の習性をおさえ、人間の思う「躾」に付き合ってくれる。それをいい気になって、声を荒らげたり、暴力をふるったりして犬を思い通りにしようとしている輩は、赤ん坊に声を荒げたり、暴力をふるっているのと同じだ。

もし犬が飼い主を選ぶ世界だったら、あなたは選ばれていただろうか? 私は選ばれていただろうか? もし私が犬であれば、私を選ぶだろうか。残念ながら答えは「NO」だ。私が犬なら「ごめんやけど、私はもっと自然の多い広いお家がいいわー」とお断りするだろう。そのことを肝に銘じ、虹の橋のたもとで待っていてもらえるように、犬を犬として認めよう。そうすると「犬が吠える」なんて当たり前のことで怒ることは出来ないだろう。人間の都合で吠えるのを止めて欲しいのであれば、犬が吠えなくてもいい環境を、人間が工夫しなければならない。なぜならば、犬と暮らしたいと望んでいるのは私たち人間であって、犬はそんなことこれっぽっちも思っていないかもしれないのだから。

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